八津御嶽神社とは

このページでは800余年の歴史をもつ八津御嶽神社について、その由緒を詳しくご紹介しています。古くは後鳥羽天皇と源頼朝公の生きた鎌倉時代までさかのぼる多少堅苦しい物語ですが・・・。お読みくださる皆様の基礎知識になれば、という思いを込めてまとめています。つきましては余暇などにしばしのお時間をいただき、お楽しみいただければ幸いです。

~宝生山の鎮守として~
800余年の永きにわたる歴史を刻む社

八津御嶽神社の歴史は古く、そもそも後鳥羽天皇の御代・文治元年(1185年)までさかのぼります。

当時は、後に鎌倉幕府を開くことになる源頼朝公によって全国に守護・地頭を置くことが定められ、甲州東河内領谷津村岡田乃郷字八津にも、八津多聞左ェ門藤原時種という人物が地頭職として着任します。

この甲州東河内領谷都村岡田乃郷字八津とは、現在でいえば山梨県の南西部、富士川沿いに広がる南巨摩郡南部町あたりであり、宝生山というなだらかな山をしたがえた誠に風光明媚なところです。

彼(八津多聞左ェ門藤原時種)は、この地に構えた地頭屋敷の北側に「民心の統一と所領安穏・五穀豊穣」を祈念して小さな祠(御嶽神社)を建立して鎮守としますが、これこそが八津御嶽神社の起源とされています。

以降、代々の地頭職が御嶽神社の斉主としてこれを守り、時は流れ、守護・地頭職制度が廃止された後も御嶽神社だけはこの地の鎮守として残り、その時々の人々の暮らしを静かに見守りながら歴史を刻み、今に至っています。

主祭神

元無極体天御中主国常立之尊産土之大御神

祭神

大国主之命 事代主之命 大己貴之命 少名彦之命 天津児屋根之命 天津大山祇之命

宝生山の場所

八津御嶽神社の発祥の地(現本宮)・宝生山は、右のMAPで「谷津」と表示されているあたりです。以前は旧住所・「甲州東河内領谷津村岡田乃郷字八津」の末尾をとり「八津」と書きましたが、現在は「谷津」となっています。山梨県にお出かけの際はぜひ一度、足をお運びください。